【人生で一番はまったゲーム】高校のころにハマった◯◯
今週のお題「やり込んだゲーム」で書いていきます。
皆さんいろんなゲームをしたことがあると思います。
わたしも数々やってきましたが、その中で一番はまったゲームについて話していきます。
わたしが一番はまったゲームは『囲碁』
ゲームといえばTVゲームというイメージがありますけど、別にTVゲームじゃなくても良いと思います。
実際最近ですとカードゲームがブームですよね。
そんなわたしですが、『ヒカルの碁』というジャンプマンガに影響受けて高校時代に囲碁にドハマリした時期がありました。
どういう経緯で始めたか?始めたきっかけ
正直小学生くらいのころに『ヒカルの碁』を読んでた時はルールもまともに知りませんでした。
それから中学時代はずっと柔道やってて、わたしの中学校は県でベスト3に入るくらい強豪でした。(わたしは弱かったのでレギュラーではありませんでしたが…)
しかもそのメンバーほとんどが地元の同じ高校に入り、隣の中学でエースだった奴も同じ高校に入り、すごく強いチームが出来ると思っていました。
しかし、高校の顧問と生徒で対立して、わたし含めほとんどのメンバーが1年で柔道部を辞めてしまいました。
そして柔道部を辞めて暇になってしまったので、たまたま囲碁始めたらハマった。というのが始めたきっかけです。
柔道部を辞めて囲碁部に入った理由
中学時代に「地元の高校に、柔道の有名な先生が顧問として来る」ということを教師経由で聞いていました。
しかし、その話は流れてしまいました。
そして実際に柔道部の顧問になった先生は、教員になり立てで柔道経験0年、ヒョロヒョロで運動も不得意な方でした。
それに対して生徒は中学時代に愛知県トップ3に入るようなメンバー。(個人では県優勝者も居ました)
先生が一番素人という状況でした。
そして、素人の先生が的外れな意見を出すことに耐えられなくなり、ついに対立してしまい、ほとんどのメンバーが辞めてしまいました。
(今考えると先生なりに頑張っていましたし、非常に気の毒な状況だったと思います。)
そんな頃に仲良かった友達が囲碁やっていたので、部活も辞めて暇なわたしは囲碁部の部室に顔を出すようになって、次第にルールを覚えていきました。
将棋は小学生の頃に好きで「将棋だけ遊びでやる」というスタンスで顔だしてたら、囲碁にハマっていって囲碁部に入部しました。
どれくらいハマってた?
平日の放課後は、守衛さんから毎日「帰りなさい」って言われるまで打ってました。
テスト期間も半日で終わるので、勉強せずに遊ぶか囲碁やってました。
そこから友達の家で21時くらいまで打って、土日も地元のおじいちゃん達が集まる囲碁会に参加するくらいハマってました。
正直学校の勉強よりも遥かに勉強したと思います。
高校2年生で覚え始めて、半年後くらいには中部棋院でやってる県大会の級位者リーグで優勝できるくらいには成長してました。
高校3年生の頃にはアマ2〜3段くらいと言われるくらいまでには成長できました。
先生の存在
以下のサイトによると、一般的には「アマ初段まで1年半〜3年程度かかる」と言われてるそうなので、約1年でアマ2〜3段までいくのは、成長スピードとしてはかなり早かったと思います。
初段プロジェクト(熱中したい方向け) | IGOホールディングス株式会社
成長の理由は先生の存在でした。
僕の住んでた町の町会議員で、アマ6段の先生がいました。
その方は年齢は70近かったと思いますが、よく部活にも顔出してくれて、土日も囲碁会開いて稽古付けてくださっていました。
そして、わたしたちが大会などで成果を出したりすると、顧問でもないのにお祝いをしてくださりました。
先生の死
夏休みも終わり、部活も引退して受験が本格化するころ、先生の訃報が飛び込んできました。
そして囲碁部のメンバーでお墓参りに行かせていただきました。
先生は囲碁が強いだけでなく、町会議員としても働き、囲碁を通じて精力的に若手を育ててくださる人格者で、聡明で本当に優しい方でした。
その先生が亡くなったのが本当にショックだったことを今でも覚えています。
あまり周りに囲碁が打てる人がいないので、それから囲碁を打つ機会はめっきり減りました。
それでも、今でもたまに打つときは先生の存在を思い出します。
さいごに
先生は紛れもなくカッコいいおじいちゃんでした。
わたしも将来おじいちゃんになったとき、若い人たちに何か伝えられるような老人になれたらなぁと思います。
今回は「やり込んだゲーム」から、自分の思い出話を書かせていただきました。
普段のようなメリット・デメリット系ではないのですが、読んでいただきありがとうございました。